賀茂神社とは、京都市の鴨川沿いに3kmほどはなれてある賀茂別雷(わけいかずち)神社と賀茂御祖(みおや)神社の総称。前者はカモワケイカズチノミコト(賀茂別雷命)を祭神とし、川上にあるので
上賀茂神社(略して上社)ともいう。後者はカモタケツノミノミコト(賀茂建角身命)とタマヨリヒメノミコト(玉依姫命)を祭神とし、下鴨神社(略して下社)ともいう。
カモワケイカズチノミコトは、タマヨリヒメノミコトが鴨川にながれてきた尼塗矢(にぬりや)をひろったことで身ごもり、生まれたという。ワケイカズチ(別雷)とは若い雷という意味で、今でも別雷神社でおこなわれる御阿礼(みあれ)神事にうかがわれるように、祭りごとに新しく誕生、来臨する神へ水の恵みをもたらすようにいのったことが始まりと考えられる。
一方、カモタケツノミノミコトは賀茂県主の祖とされ、神武天皇の東征(日本神話)で先導をつとめたのち、鴨川上流の山麓(さんろく)にすみ、イカコヤヒメ(伊賀古夜日売)にタマヨリヒメとタマヨリヒコ(玉依日子)を生ませたという。
最近の研究では、この地域を支配していた豪族である賀茂県主がタマヨリヒメを産土神としてまつった別雷神社が先にあり、奈良中期、国家の宗教政策の中で御祖神社が分離したことや、男系の系譜意識が発展したことなどが重なって、父であるタケツノミの説話がくわえられたものと考えられている。
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